悲しみの介護生活が始まった

  NHKラジオ、マイあさ「著者からの手紙」コーナーで「離れていても家族」の放送が流れたこの週末、私は実家に寝泊まりしていた。骨折で入院していた母親がリハビリを経て退院するので普段は遠方にいる私だが、見守りと生活支援を兼ねて訪れたのだ。父は「自分が世話するから大丈夫」というけれど、母は来てくれたら安心だから、ということで請われて行ったのだ。人の世話をする経験値のあまりにも低い父に「大丈夫」と言われても、誰も周りは安心できない。

 

 さすがに年老いて弱っているものの父親の強気ぶりは相変わらずで、認知が下がり気味であるからだろう、家族へのきつい物言いはさらに増えている。その後、頭の整理がつかず脳をリハビリして前向きに生きるためにこのブログに書き連ねている。父親の家族への物言いは生まれてこのかた「お前たちは物事を分かっていない。自分が教えてやる。」というものに尽きる。まあ、毒親ですね。気付いたのは成人してだいぶ後。どうにかサバイブしているだけで、常にきしみがでてくる。高度成長の時代の波に乗って、それなりの社会的地位についた男性が家父長として振る舞い家族を見下し続ける、ありがちな家族の1つで私は育った。家族が研究対象になったのも疑問を解き明かしたいから。

 

 で、もうとっくの昔に相対化し乗り越えてうまく付き合えていると自負していた。とんでもない。驚いたことに、いまも父親と会うとダメージをくらい自分の生が一瞬で価値のないものに思えてくるのだ。子どもにとって、親とはいつまでもそんな存在らしい。老いた両親だからこそ、こちらが大人としてふるまい、我慢をしているからかもしれない。自分が手に入れた家族や友人たちとの幸せな関係性。書き残せた著作や論文、積み重ねた講義や講演活動、仕事と趣味に恵まれたと感じている日々が、一瞬で暗転するこの感覚はなんなのか。

 

 今回の疲弊エピソードその1。老後の資金や運用のことを説明してきたので、最近気がかりな変化について一言口にしたとたん、「お前の知識はSNS的だ」となじられ始めた件。なんじゃそれ。ちなみに、87歳になる父親はSNSどころかスマホすら手にしていない。だから、SNSを理解して言っているわけでもない。メールも使わないしインターネットにアクセスはできず、それどころか使う人をバカにする。いまも彼の情報世界は紙の新聞・雑誌とテレビのみでできている。銀行は通帳で管理し、定期的に印字をしてチェックする。不便な場所に住んでいるのにインターネットで買い物ができないから、いまも運転免許を手放さない。1日中テレビをつけるようになっていて騒々しい。音楽を聴いてる時も画面をつけている。「天気予報が流れてくるかもしれないだろ」、という。このブログを読まないことだけは確かだ。

 

 世界に流れる大半の情報から遮断されている父の態度に対して、それも一つのありかただと私は認めているしバカになどするつもりもない。天気予報を知りたい時にチェックできないのは不便だろうなとは思うが、それも決して言わない。だが父親は家族の誰に対しても、「お前たちは知らない。自分は知っている」を繰り返してくる。傍目には喜劇だろう。が、母という存在が父に正当性を与えると、あたかも子どもである私は無知な小娘に留め置かれ世界からはじかれ、価値が反転していくのだ。これが素の家父長制の怖さである。「おまえよりも上手いに決まってる」から、病院から家に向かう車に父の運転で久しぶりに乗ったが、危なっかしい高齢者のそれだった。ああ、先が長いだろう介護生活に早々と途方にくれている。